国際結婚のカップルの中には、一体どうやって意思疎通をしているのかしら、と不思議になるようなカップルが多くいます。なかには夫婦喧嘩の度に通訳の人間を呼んでこなくてはならない夫婦すらいます。私の友人でも、あまり英語が話せないうちにアメリカ人の男性と結婚をした女性がいます。
二人の間には息子が生まれて日本でくらしていたのですが、家の中では一切日本語を使わず、学校もアメリカンスクールだったので子供も英語だけしか理解できません。そのうちに息子は父親とだけ深い話をするようになってしまいました。母親とも仲はいいのですが、学校からの連絡事項すら勘違いをしてしまうような英語力だったので、ある面で軽蔑しているような態度もとるようになってしまいました。
これは傍で見ていても気の毒でならないような状況でしたが、息子が大学に進学し、違う角度から母親を見れるようになったせいか、内容のあるいい会話ができるようになった、と友人が嬉しそうに教えてくれました。
夫婦の間にはそれ程言葉は必要ではない、という面もあります。言葉ではっきり言わなくても、共に様々な経験をする上で相手の反応を見ていれば、どんな価値観を持ってるのか、ということは分かってくるものです。けれども、子供ができて、ある言語を話す社会の一員として生活していくには、その言語をできるだけ理解できるように努力しなければならないでしょう。日々の生活上のことだけではなくて、役所への手続き、銀行との取引、子供の学校との連絡、など、夫婦が共に責任を持って行えるのが理想的です。
けれども現実には、住んでいる社会の言語が母国語であったり、得意であったりする方の一人が、事務的な要件を一手に受け持つことになるのがほとんどです。すると、相手はまるで赤ん坊のように、社会との公的接触をあきらめてしまうのです。
私の家庭も国際結婚で、主人は英語しか話せません。日本語も勉強しようとはしているのですが、自宅で仕事をしているため、あまり日本語に触れる機会もなく、また家庭内では私が英語を話してしまうため、日本語の必要性を感じなくなってしまったのが良くなかったのだと反省しています。
結婚当初、私が日本語の入門書を買ってきて教えていましたが、三日坊主になってしまいました。また、私自身の英語も彼との基本的な会話に不自由はしないので、以前のように辞書や文法書で勉強することがなくなってしまいました。時々、主人が実家の兄弟と話しているのを聞いてみますが、私との会話では使わない単語が連発されて、何の話だか分からなくなるような事もあります。彼が私と話す時、私の知らない単語は抜きで、会話をする習慣ができてしまっているのだと思います。
国際結婚でも、国籍が違うだけで母語は同じ場合もあるでしょう。また、しっかりと言語を勉強して何不自由なく相手の母国語の社会で生活している人も、もちろんいます。そのような人でも、ふと、母国語が懐かしくなってしまう瞬間はあります。こればかりは、仕方がありません。誰でも、生まれ育った故郷を忘れることはないように、肩の力を抜いた自然体で言葉を口にしたい時があるのです。
もちろん、日本人同士の結婚でもこのようなことはあると思います。例えば方言で育った人が東京育ちの人と結婚をして、普段の生活で標準語を使って生活していたとします。そして、故郷の中学の同級生から電話がかかってきて、方言で話しをしたら、懐かしくてほっとするのではないでしょうか。
違う言語を話していた二人が結婚して、生活のためにどちらかが言葉の上で頑張らなくてはならないとしたら、その事を当たり前のことにしてはいけません。言語が理解できないことから来る孤独感、ストレスというものを、思い遣ってあげるようにしたいものです。